悪いことは聞きたくありません!

「良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」
まあ、悪いニュースなんて聞きたくはないですね。しかし、そこに横たわっている事実から目を逸らしたところで事実が消えてなくなるわけではなし…
ところが、悪い「可能性」は聞かないで済ますことが出来てしまいます。そう、その可能性が結果として実現しなかった場合は…

「死ぬこともある」とは言ってほしくなかった。その気持ちは理解できるが、では万が一、患者が死亡したときに、医師を非難しないと言い切れるのか?「患者と真摯に向き合」っていたからと、説明不足を罵らないか?無論、真摯に尽くせばたとえ結果が悪くても患者および家族の多くは理解してくれるはずと医療者も信じている。しかし、すべてがそうとは言えない。

2008-09-30

「死ぬこともある」なんていう現実には目を向けたくないし、それが結果になってしまった場合は尚更だけれども。余命何ヶ月ですってのと話は大して変わらないんだけど、
インフォームドコンセントが一般的になってから久しいけれども、患者側の知識が上がったようにも思えないから、実質的には「医者の予防線」になっている、という事実はあるかと思います。これは医師が悪いって言っているんじゃなくて、世の中がそれを要求しているからやっておかないと後で問題になるからね。でも、受ける側の患者がわけわからないものだから、結局
「説明しましたよね」
「あんな説明じゃわからん」
という意味不明なやりとりになってしまうこともあるでしょう。
医療ミスが全て免責されるべきなんてさっぱり思っているわけではないけれども、不確実な医療を行う際に「やるからには100%」なんてのを求められたらかなわんだろ。医師を信用できないなら、医師以外の誰かを信用するのではなく、別の医師か、自分が医師並の正確な知識を身に着けるしかないんだよなあ。
現代社会に足りないのは人智が及ばないことに対する諦めの気持ちなんだろうとずっと思っているわけなんだけど、それでもその及ばざるものを少しでも改善しようとしている人には恨みをぶつけるどころか感謝しなければならないことの方が多いと思うんだよね。