正しい答えに×がつくことの悲しみ

例の掛け算問題だけど。
どうしてもあれば国語の範疇の問題ではないかと思ってしまうのだけど、それはさておき、合目的的だから、答えがあっていても×をつけてもよいのだ、とされる方が多いのには驚き。教育方法として、こういった知識を楽しく(前向きに)身につけさせるというのがあると思うんだけど、算数としてのルールに合わないから結果が合っていても×っていうのは世の中ルールに従わないと痛い目を見るよと言う社会教育であり、算数の教育ではないんじゃないかと思う。

文章題が事象を汎化して式に落とし込む抽象化能力を問題にしているのであるから、その主張は一面では正しいのかもしれないけれども、このやり方だとかえって子供たちは小手先の解決策を学ぶだけで、単位の本質的な理解などしないのではないかと思う。「個ってやつのほうをうしろにしときゃいーんだろ?」ってのとあてずっぽうで順序があっていた(そして大抵はあう)ことちゃんと理解できていることの区別が完璧に付かない限り、この方針についての理屈は説明不能である。