ものの値段と価値と

シャンプーがなくなった。会社帰りにスーパーに出向く。そこにはモデルチェンジ?したシャンプーの群れが。昔は寸胴なだけだった容器が時代を経るとともにシャープで獰猛な顔つきになっていくのは肉食系女子の時代を反映しているからなのだろうかとどうでもいいことを考えながら普段使っている商品を探すと、変わり果てた姿をさらすそれが発見された。いったいどうしてしまったんだ。
詰め替え用を手に取る。この詰め替え用のパックの形も不思議発見である。詰め替えやすい形状なぞ、それほどバリエーションのあるものではなかろう。しかしついぞ詰め替えやすいものにお目にかかったことがない。それなのにいろんな形が存在しすぎだ。衣料品洗剤の詰め替えやさに比べて100光年は水をあけられている。粘度の違い?それにしてもだ。
とまれ、手にとる。そして気づく。「お前、ちょっと痩せた?」

そういえば、コーナー全体を眺めてもスリムになっている。ボトルは獰猛だというのに。内面はひ弱なのよ、というアピールなのだろうか。そのわりには「期間限定Xml増量!」というアピールも目だつ。痩せて見せたいのか、ふくよかにみせたいのかわかりゃしない。体重…じゃなかった容量を確認すると、想像よりも少ない。
「これがデフレで値下げと見せかけた実は下がってないよ商法か…って値段下がってんのこれ?」
正直言って、シャンプーの値段などいちいち覚えてはいないわけだが。

最近のスーパーはよく、「100gあたりx円」の記載がある。PBのお得感を際立たせる演出にも思えるが、大量に買うと安いよ、で余分な量を買わせて、結局使いきれなくて廃棄となる、地球に優しくない商法ともいえる。この国の人は目先の「お得感」に弱すぎるのだから。ついでにエコだよねなんて言われた日には、自分の環境への問題意識の高さをアピールせざるを得ない。

閑話休題

詰め替え用にはgあたり単価が記載されている。ボトルにはない。これがなにを意味するかは明白すぎる。商品がモデルチェンジすると中身が変わることは多い。しかし愛用するユーザーは、詰め替え用を買ってしまうかもしれない。すると、昔の内容と混ざってしまい、本来の効果が得られない。だから、是非新しいボトルを買って欲しいのだ。なんなら他のシャンプーから乗り換えてもよいよと。同時に他のシャンプーが同じことをしているのは何故だかよく考える必要はあるが。

理由を詮索しても意味はない。ちょっと暗算してみる。そもそもボトルの方が容量が遙かに多い=次回詰め替えの手間がその分減るというだけでも誘惑に駆られるというのに。なぜ単価が逆転するのか。これは俺のエコ意識に対する挑戦なんだな?そうに決まっている!

無論、そんな挑戦など無意味だ。詰め替えに失敗して少なくない量を無為に下水に流す方がよっぽどエコでないことをご存じの向きがほとんどであろう。幸い、見栄を張るほど人のいる時間帯ではない。そもそも知り合いに発見されない限り意味がない。レジにアピールすべき理由があればともかく。

かくして、絶対的値段が安いという罠を乗り越え、新しいボトルを入手した僕はものの値段の不思議さにもやもやした思いを抱きつつ、帰路についたのである。