無職と善悪

善悪の観念で捉えてはならない、という類のもののはずだよね。

より多くの人が「無職は悪」という考えを捨てることが、「無職の何が悪い」と堂々と言える世の中にすることが、人の命を救うことにつながる。

「無職は悪」という考え方が、働く人を死に追いやる - 上伊由毘男のブログ

悪いとか、悪くないとかそういう価値観の元に無職という状態を乗っけてしまっているという点で、「何が悪い」というのは悪を自認した上での開き直り的な言葉と捉えられてしまうような気がするんだよなあ。
「無職の何が悪い」なんていわなくて済む世の中、でありたいな。

ところで、無職は本当に悪くないのか。これは「善」に対する「悪」の概念ではないと思うんだけど、社会が成り立つラインで無職という状態にいない人の割合が一定数を超えてなければならないとは思う。社会の要請として「働きたくないでござる」に無償の愛を捧げよ、ということでは決してなく、コントロールできない「失職」という状態に対して社会できちんとフォローしようぜ、というところ。
"neet"がなぜ"nee"じゃなくて"neet"なのか、ということでもある。個別事例としての事情こそが大事であって無職が無職のままで居ることが無条件で許される、という考え方もまた違和感がある。無職が無職であることそのものは仕方がない場合が多いだろうし、その「仕方がない」が社会(すなわち他者)に起因するものであるからこそ、善悪の概念から切り離すべきなんだと思う。むろん、嫌ならやめることができるというのも仕方がないそれに入ってしかるべきであり、人間としての健全な生活を妨げるような仕事を無職にならないがために続ける必要のない社会でありたい。

特別な事情がなく、それが可能であるならば、つまり働ける人はできるだけ働くのが社会ってものだし、事情があって働けない人を無理やり働かせる必要はないし、主夫・主婦だって直接的・間接的に働いているし。
無職は個人にとっての過渡的(場合によっては恒久的になるけど)な状態でしかない、という認識のある社会にしたいな。

仕事の鬼だって、善でも悪でもない。