「中国人にもいい人がいる」を認めたくない人

「にも」ってのは失礼ですね。すみません。
人間の心性ってのは教育によって形作られる点が多々あるという意味ではある程度国によってバイアスがかかるのは仕方がないと思うけど、単に個としての人間を見た時にその人が善行を行うか否かはそういった属性的な側面とも多少違った行動原理によるものではないかと思うんですよね。非常に曖昧な話ですが。

で、そういう話はおいといて、「子供を助けた中国人は実はチベット人だった」みたいなデマをどうしても言わなきゃいけないような心理は属性そのものを敵として憎んでいる人が現実と折り合うため、つまり認知的不協和を解消するためにそういうふうなことを行ってしまうんですよね。

でも、それって例えば「悪い日本人」がいたらどうするのか。まあ、いますけど。そしたらきっと「在日」とか「サヨク」とかいって自分の属性と違うことを強調するんだろうなあ。なんかあるとすぐ在日を持ち出す人ってのはつまり自分の属性は正義であるということを頑なに守りたいだけなんだよね。

相手の属性を決めるのは自分という意味では実に難易度が低く、実に不公平なやり方なんですよね。逆に言うと、そのくらいしか非難の根拠がないということを示していますよね。属性批判がたいていは愚かな行為であるのは批判をすべき対象の本質を何一つ突くことがないからです。