贅沢な配慮をすることが日本の美徳だと思うんだけど

ま、他人に過剰に求めることはNGとしても、自主的にそれを行うことが美徳であると言う共通認識がある日本は素晴らしいと思いますよ。一期一会なんて言葉はそうは出てこないわけで。

簡単に言えば、「配慮する」ことは美徳でしょう。どんどんやればいい。しかし、「配慮を求める」ことは美徳ではないし、場合によってはむしろ悪徳ですらある。この国で多数派を形成している品行方正な自称良識派どもはこの点を完全に取り違えており、「人を思いやれ」とかもっともらしい言辞を弄しながらもその本心にあるのは卑しい自己利益だけであって、醜悪な排他主義を遂行するため巧妙に築き上げたマナーとか規範とか品格とかいう糞の山

2008-05-19 - planet カラダン

こういう見方は確かに間違ってはいないと思うけど、ちょっと哀しくなります。

ドア付近でベビーカー置いてしゃべってる集団が邪魔で降りられないなら、ちょっとずれてもらって降りればいいし、乗れない時も同様。混雑してきて、あの人たちがベビーカー畳めばもっと大勢の人が快適に乗れるのに、と思うなら頼めばいい。(「注意する」のではない。)

2008-05-19 - planet カラダン

ってのが「(予め)配慮を求める」という一点を除いて大した違いがあるわけではないのにかたや糞の山になってしまうのが何でなんだろうと思いますよ。
なあなあな日本の感覚みたいに言われちゃうこともあると思うけど、以心伝心的、無駄な伝達労力を使わなくても譲り合う文化自体は世界に誇れると思うんだけどなあ。その感覚が面倒だ、と言っているようにも思えちゃう。
求めることを正当化することは必要ないと思うけど、理想的には配慮を期待していいんじゃないかな。ポスターで啓蒙とかは確かにグロテスクな感じはしますが、そういうのが無くても配慮するよね、という社会って気持ちよくないかなあ。
変な啓蒙活動を批判したいが為に理想を落としているように感じました。

追記:そうあるべきとかそうすべきとかそういうわけではなくてね。誰かがそれを求めていくんじゃなくて、一人一人が色々考えた結果としてそうなっているんであればよいんじゃないかと思うってことです。
ネットでの誹謗中傷を減らす、というのもこういうのとあまり変わらない話だと思うから、「そうした方がみんな楽だよ」って訴えること自体は良しとすべきじゃないかなって。ちょっと違うかな。