巷の「被害者感情を重視しろ」とは

実際には被害者感情に配慮することを求めているわけではないのだと思う。

想像力があれば、人が必ずしも応報感情を持つとは限らないとわかる。弁護士が被害者になった場合に必ず応報感情をいだくと考え、弁護士に想像力が欠けているなどと主張する者こそ、往々にして人間の多様性を知らない……つまり想像力がないことが多い。今回の懲役7年という判決に対して違和感の表明が見られるのも、被害者遺族の感情反映を厳罰化への流れとしか考えられなかったという、想像力の無さゆえではないだろうか。

人を殺して切断して懲役7年の判決となる社会は、君達が望んだものではなかったか - 法華狼の日記

もうちょっと単純な話で、「被害者や被害者の遺族に同情する俺の感情に配慮しろ」なんじゃないかな。もしくは「俺はあれは重罪だと思うからその通り厳罰を下せ」。後者はまだわかる。犯罪に対して妥当な刑罰を「被害者・加害者の感情」に関係なく報いよということであるから。その判断が「俺はそう思う」で、根拠がなければ仕方がないのだけど。前者はあえて想像する範囲を制限している。もちろん、そのことを想像力の欠如と呼ぶのだけれども。
まあでも今回の件はなんとなくだけど、被害者感情に配慮したというよりは、世間の厳罰要求を無視しただけにも思えるけれども。